突然の失踪と謎の遺体発見
1949年7月5日の朝、初代国鉄総裁に就任したばかりの下山定則氏が、出勤途中に日本橋の百貨店に立ち寄ったあと行方不明となりました。翌7月6日の未明、足立区の常磐線線路上で遺体となって発見された出来事が「下山事件」です。
自殺か他殺か、対立する見解
事件直後から、これが自死であったのか他殺であったのかをめぐり、捜査機関や法医学界の間で激しい議論が巻き起こりました。ある大学の法医学教室が「死後轢断(他殺)」を主張したのに対し、別の大学では「生前轢断(自殺)」の見解を示すなど、専門家の間でも意見が二分されたと伝えられています。当時の緊迫した社会情勢も相まって、背後関係をめぐる様々な憶測や謀略説が囁かれることとなりました。
迷宮入りと語り継がれる謎
公式な捜査は続けられたものの、真相が解明されないまま1964年に公訴時効を迎えました。現在でも同時期に起きた「三鷹事件」「松川事件」と並び「国鉄三大ミステリー」と称され、戦後史における深い謎の一つとして多くの書籍やメディアで検証が続けられています。




